TBM-#68767

墜落日時 1945年4月15日
墜落位置 沖縄県石垣島大浜海岸沖
所属 USS Makassar Strait (CVE-91), VC-97
攻撃目標
墜落原因           
機体ニックネーム

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
機長Vernon L.TEBO中尉121397
通信兵Warren H.LOYD一等飛行兵曹342-23-51
機関兵Robert TUGGLE Jr.一等飛行兵曹617-47-22
 パラシュート降下した、の3人が日本海軍警備隊により捕虜。その夜、TEBO中尉とTUGGLE兵曹は斬首、LOYD兵曹は多数の日本兵により刺突演習の材料にされるなどにより惨殺された。(石垣島事件)
 戦後2年目に事件が発覚し、石垣島海軍警備隊司令官井上乙彦大佐以下海軍兵士46人が戦犯として起訴され、41人が死刑判決を受けた。後、減刑により最終的には死刑7人、将校3人と一般兵29人が懲役5年~無期懲役となった。
 2001年8月15日、米軍飛行士慰霊碑の除幕、追悼式典が執りおこなわれた。ディボー中尉の甥やロイド兵曹の姪など、亡くなった米兵3人それぞれの親族も参加した。これ以降、毎年、事件の起きた4月15日に慰霊祭を開催している。

「碑文」は以下のように書かれている。


 太平洋戦争末期の昭和20年4月15日の朝、石垣島に来襲した米空母マカースレイトの雷撃機グラマンTBFアヴェンジャー編隊の1機が、日本海軍警備隊の地上砲火で撃墜された。パラシュートで大浜沖合に落下した3名の飛行士は海軍兵士に逮捕され、捕虜となり、警備隊本部のあるバンナ岳麓で、瀕死の暴行を受け、同日夜処刑された。捕虜の虐待は「捕虜の待遇に関する条約」(通称「ジュネーブ条約」昭和4年)で禁止されていた。
 ティボ中尉とタグル兵曹は軍刀で斬首、ロイド兵曹は多数の兵士達の銃剣による刺突で無残にも殺害された。これは戦争がもたらした非常に悲しい事件であった。

 バーノン・ローレンス・ティボ中尉 (機長、イリノイ州出身、28歳)
 ウォーレン・エイチ・ロイド兵曹 (通信手、カンザス州出身、24歳)
 ロバート・タグル・ジュニア兵曹 (砲手、テキサス州出身、20歳)

 人道上から日米が協力して、無念の死を遂げた米兵士の御霊を慰めるため、ここ石垣島に慰霊碑を建立する。
碑が日米の平和、友好の発展に寄与し、かつ人間として持つべき平和を希求する心と、決して戦争があってはならないという固い誓いを後世に正しく伝え、世界の恒久平和の実現に寄与することを祈る。
 平成13年8月15日
 米軍飛行士慰霊碑建立期成会

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
沖縄タイムス 2001年(平成13年) 8月16日
八重山日報 2001年(平成13年) 8月16日