B29-#44-69728

墜落日時    1945年5月26日
墜落位置    東京都足立区入谷町3丁目
所属      第314爆撃団第29爆撃群第52爆撃隊
攻撃目標    東京市街地
墜落原因           
TAIL CODE    ■O40       
機体ニックネーム

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)MANSFIELD, Richard M.大尉o-433560
副操縦士(CPLT) RING, Robert E.准尉T6052
爆撃手(BOMB)UNTERMAN, Melvin大尉o-725105
航法士(NAV)KNAPP, Dwight H.少尉o-2668685 X
機関士(FE)KARNA, Edward I.技術軍曹16021950
通信士(RDO)MACKENZIE, James W.軍曹32954795 X
レーダー(RDR)JONES, Robert P.少尉o-558238
中央火器管制(CFC)DEEB, Joseph J.軍曹31463841
銃手(GUN)JORGENSON, Therman D.軍曹17080597
銃手(GUN)MICHELSEN, Robert F.軍曹37584705
銃手(GUN)COUGHLAN, Edward J.軍曹12101460 X
 B29は南方から火を吹きながら飛来し、高度500メートルほどで空中爆発、破片は広範囲に散乱し、エンジンは2日間燃え続けた。このB29のプロペラの1枚が、戦後墜落現場の耕地の所有者によって掘り出され、入谷南中学校に寄贈されたが、現在は足立区郷土博物館に保管されている。
 James W.MACKENZIE軍曹とEdward J.COHGHLAN軍曹の2人が墜落死。浄光寺の住職が墓標を建立した。
 Richard W. MANSFIELD大尉(機長)、Melvin UNTERMAN大尉、Robert P. JONES Jr.少尉、Robert E.RING 准尉、Edward I.KARNA一等軍曹、Joseph J. DEEB軍曹、Thomas D. JORGENSON軍曹、Robert F. MICHELSEN軍曹の8人がパラシュート降下して捕虜。東京憲兵隊へ送られ、戦後米国へ帰還。
 Dwight H.KNAPP少尉はパラシュート降下し、荒川放水路の支流付近に潜伏していたが、警防団員に発見されたためピストルを発射、1人を射殺、1人に重傷(後日死亡)を負わせた。警察の捜査により、2日後に東武線西新井駅の貨車の中に隠れているところを発見され、逮捕されて上野憲兵分隊に引き渡された。上野憲兵分隊長の堀江アキラ少佐が彼を東京憲兵隊司令部へ連行したところ、司令官の大谷敬二郎大佐から「殺人を犯した米兵を捕虜として扱う必要なく、厳重に処分せよと」の指示を受けたため、部下の野口悦二曹長に命じて千住新橋の南側の河原でKNAPP少尉を斬首させた。
 戦後の戦犯裁判で野口曹長は懲役12年、大谷大佐は懲役10年となったが、堀江少佐は敗戦直後自決。

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php