B29-#42-24656

墜落日時    1944年12月3日
墜落位置    千葉県香取郡神代村東和田-香取郡小見川町
所属      第20空軍第73爆撃団第500爆撃群第881爆撃隊
攻撃目標    中島飛行機武蔵製作所
墜落原因    戦闘機
TAIL CODE Z□01
機体ニックネーム    the ROSALIA ROCKET

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)King, Richard T.大佐o-149232
副操縦士(CPLT)Goldsworthy,Robert F.少佐o-398709
爆撃手(BOMB)Patykuls,Walter J.中尉o-741413 X
航法士(NAV)Edwars,Benjamin F.中尉o-801445 X
機関士(FE)Warde,Henry W.中尉o-860976 X
通信士(RDO)Wright,John A.軍曹31296777 X 
レーダー(RDR)Wells,Carl T.二等軍曹17046149 X
中央火器管制(CFC)Abel,Robert E.伍長39691205 X
右銃手(R.GUN)Goffery,Thomas M.軍曹12180664 X
左銃手(L.GUN)Schroeder,Harold J.伍長16156864
尾部銃手(T.GUN)Corrigan,James P.二等軍曹13046433 X
同乗員(PAS)Brugge,Byron E.大佐o-19379 X
 日本軍戦闘機の攻撃を受け、松林や畑に分解して墜落、数日間炎上した。4人が墜落死。遺体は東庄町に埋められたが、戦後、軍人墓地に再埋葬。8人が捕虜になり、香取海軍航空隊を経て東京憲兵隊へ送られた。そのうちHenry W.WARDE中尉、Carl T.WELLS軍曹、John A.WRIGHT軍曹の3人は重傷を負っており、千葉市の陸軍病院に収容されたが、翌日死亡。千葉市の墓地に遺体を埋葬。Thomas M.GEFFERY軍曹は栄養失調により、45年2月11日に東京都牛込区トヤマ町の臨時東京第一陸軍病院で死亡。Byron E.BRUGGE大佐は、憲兵隊の過酷な取り調べやスパイ強要により精神異常をきたし、45年3月4日に臨時東京第一陸軍病院で死亡。この2人はいずれも東京小石川の陸軍墓地に埋葬。
 機長のRobert F.GOLDSWORTHY少佐、Richard T.KING大佐、Otto H.SHROYDER伍長の3人は、東京憲兵隊から大森捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。
 1997年9月25日、日米合同慰霊祭が開催され、元副操縦士Goldsworthy,Robert 氏や、地元の人々約100人が参加した。また、地元の協力で白い十字架型の平和の記念碑を建立し、日米平和友好の交流式典を行った。

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP 
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
読売新聞 1997年(平成9年)9月26日