理念/POLICY

サイト立ち上げ理念

私がこのサイトを立ち上げるに際し、2つのイベントとある搭乗員遺族との出会いが大きな影響を与えたことをここに触れておきます。

イベントの1つは、2018428日 九州の宮崎空港に隣接した独立行政法人 航空大学校の格納庫で開催された、B-29SALVO SALLY」宮崎慰霊祭です。もう一つは、2015年に東北の宮城県に建設された、不忘平和記念公園についてです。(この2つの詳細は後述します。)

この2つは、地元を中心とした有志により開催・建設したものですが、どちらもその規模がとても大きなものでした。これほど大きな慰霊祭や慰霊碑でさえ、残念ながら関係する全ての搭乗員ご遺族にこの情報を伝えることができていません。不忘平和記念公園には野球場のような広大な敷地に不忘山で墜落したB-29 3機の亡くなった全搭乗員34名それぞれに慰霊碑があるにもかかわらずほとんどの遺族にその存在をお伝えすることができていないのです。(201812月末現在)

さらに言うと、開催の趣旨やその記録を残せなかった慰霊祭、遺族と繋がる機会を得られず管理も次の世代に引き継ぐことができなかった慰霊碑がどのような状況になってしまうか容易に想像できるでしょう。まさにこのような問題に直面する団体や個人が多数存在するとわかってきました。そして、不幸にも、記録が残されていないために忘れ去られてしまう慰霊祭、管理されないままその存在意義だけでなく存在自体が忘れ去られ経年劣化などにより無くなってしまう慰霊碑もあるのです。

このサイトで紹介している慰霊碑の中には「死んでしまえば、敵も味方もない」と言って慰霊したものや、戦時中であれば非国民として陰口を叩かれながら慰霊をしたものもあります。

私は、このサイトで紹介する大小さまざまな慰霊祭や慰霊碑が、国際平和・国際協調・国際友好に寄与し、すべての国の間に希望と平和の道しるべとして役立つものと信じております。そして、関係するすべての搭乗員ご遺族に、「あなたの大切な人は日本で大切に慰霊されています。」とお伝えしたいのです。

最後に、ある搭乗員遺族との出会いについてですが、太平洋戦争末期、九州で捕虜になり福岡の西部軍司令部へ送致され、そこで命を落としたあるB-29搭乗員遺族との出会いがありました。

私は福岡で起きた西部軍事件(日本軍による連合軍搭乗員捕虜の斬首事件、九州大学医学部生体解剖事件)を知ってはいましたが、このような事案の遺族と直接繋がりができることを想像していませんでした。これまで搭乗員遺族と繋がれば、慰霊祭等を開催しハッピーな気持ちを奏でる想像しかしていなかった私にとって、あまりにも衝撃的で、どのように対応してもハッピーな気持ちが想像できないことに、とても長い時間悩み続けました。

しかし、このような戦争という極端に残酷な時代に、敵味方関係なく、犠牲になった人々の存在を忘れず、不幸な事件が発生したことにも目を背けず、同時に未来がそうした残虐な時代にならないように正しい歴史を伝承しよう。そのためにも、ご遺族に何か知りたい情報があるならばできる限りの協力をしよう。これは誰にでもできることではなく、偶然にも繋がりのできた自分にしかできないことであって、その偶然の出会いに感謝し、同じ人間としてお互いに信頼関係を得て誠意をもって話を伺ってみよう。これらの記録を残さなければ、全てが無かったことと同じになってしまう。その事実を次世代に正しく継承していくことが重要なのだ。と気持ちの整理をして再び前に進みだしました。

皆様の暖かいご支援・ご協力をよろしくお願い致します。

20191

サイト管理人