B29-#44-69899

墜落日時    1945年5月5日
墜落位置    和歌山県田辺市上山路字殿原
所属      第73爆撃団第497爆撃群第871爆撃隊
攻撃目標    広海軍航空廠
墜落原因    戦闘機
TAIL CODE    A□56
機体ニックネーム

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)McSpadden, Joe S.少尉o-753232 X
副操縦士(CPLT) King, Wilson K.少尉o-830869 X
爆撃手(BOMB)Foley, Harry J.少尉o-785267 X
航法士(NAV)Hooser, Jack R.准尉T129147 X
機関士(FE)Sparks, Logan M.二等軍曹34675171 X
通信士(RDO)Kisti, Joseph F.二等軍曹42080029 X
レーダー(RDR)Croake, Thomas J.少尉o-2073304 X
中央火器管制(CFC)Flanagan, Erle P.二等軍曹12076389 X
右銃手(R.GUN)Johnson, Howard R.軍曹35903294 X
左銃手(L.GUN)Meier, John A.二等軍曹39030583 X
尾部銃手(T.GUN)Hansser, Louis J.技術軍曹6990471 X
 呉の広海軍航空廠を攻撃予定の飛行機が、損傷等の理由により進路を変更し、臨機目標の名古屋または串本に向かったものと推定される。北から南へ飛行中に、竜神村上空で日本軍戦闘機の攻撃を受け、3つに分解して墜落。
 搭乗員11人のうち7人が死亡。墜落現場付近に遺体がバラバラに散らばり、住民によって埋葬されたが、戦後米軍が回収した。
 Joe S.McSPADDEN少尉(機長)とLogan M.SPARKS二等軍曹(機関士)は、墜落地点付近で警防団員らによって捕虜。殿原小学校へ連行され、村役場に一晩留置し、翌日、御坊憲兵分隊員により、和歌山憲兵分隊を経て大阪の中部憲兵隊司令部に押送、中部第22部隊に収容。SPARKS二等軍曹は7月20日に信太山演習場で処刑。McSPADDEN少尉は8月15日午後に真田山陸軍墓地で処刑。
 Harry J.FOLEY少尉(爆撃手)とEarle P.FLANAGAN二等軍曹(射撃手)は5月9日まで逃亡を続け、西牟婁郡二川村(現・田辺市中辺路町)大字小松原で、二川村字温川のクボタタケオと字小松原のオオニシタケオらによって捕まり、中部憲兵隊司令部へ押送。 FLANAGAN二等軍曹は7月20日に信太山演習場で処刑。FOLEY少尉の死亡日時は不明。
 戦時中の1945年6月9日 村長、助役、警防団長などを中心に亡くなった米兵のために初供養が行われた。終戦直後、村民によって墜落現場に木製の慰霊碑が建てられた。
 1947年12月12日 墜落現場に「連合軍アメリカ将士之碑」が建立され除幕式があった。1993年9月 現在の県道375号線沿いに移設された。
 慰霊祭は1945年以来、毎年5月5日に慰霊祭が開かれている。

PACAF Band Visits B-29 Ceremony
https://www.youtube.com/watch?v=tvxVeiCKpyU
VIDEO by Yokota Air Base (November 24, 2014)

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
朝日新聞 1947年(昭和22年) 11月23日