墜落日時 1945年3月10日
墜落位置 宮城県刈田郡七ヶ宿村不忘岳
所属 第73爆撃団第498爆撃群第873爆撃隊
攻撃目標 東京都市地域
墜落原因 操縦ミス
TAIL CODE T□15
機体ニックネーム 無し
搭乗員
機内配置 | 氏名 | 階級 | 認識番号 | 生死 |
操縦士(CAPT) | KORDEMEIER, Hubort L. | 少尉 | o-761967 | X |
副操縦士(CPLT) | DEAN, Claude T. | 少尉 | o-806631 | X |
爆撃手(BOMB) | OWENS, Robert L. | 少尉 | o-673148 | X |
航法士(NAV) | GOTTLIEB, Leonard | 少尉 | o-673148 | X |
機関士(FE) | RAYBOULD, Harold | 少尉 | o-868592 | X |
通信士(RDO) | BOSKOVICH, Martin | 二等軍曹 | 16078421 | X |
レーダー(RDR) | RENEAU, Samuel F. | 二等軍曹 | 14156237 | X |
中央火器管制(CFC) | SOLMON, Henry S. | 軍曹 | 14191980 | X |
右銃手(R.GUN) | McMAHON, Martin J. Jr. | 軍曹 | 42021788 | X |
左銃手(L.GUN) | BRETAG・Ernest L. | 二等軍曹 | 16133672 | X |
尾部銃手(T.GUN) | FRY, William E. | 軍曹 | 33151692 | X |
宮城県刈田郡七ヶ宿村不忘山山腹に、以下の3機のB29(機体番号42-63564、42-65310、44-69747)が相次いで墜落し全員死亡。東京空襲へ向かったB29が、悪天候により進路を誤り、乱気流に巻き込まれて墜落した模様。 1945年6月10日、七ヶ宿村駐在所宮川庄蔵巡査、七ヶ宿村高橋十郎村長、及び村民等の手により一括埋葬し、十字架の墓標を建立した。 1961年9月、宮城県白石市の市議会議員らが中心になって墜落現場付近に死亡した米兵の慰霊碑(「不忘の碑」)を建立。地元住民の他、アメリカ大使館や在日米軍の代表など200人が参加して除幕式が行われた。 また、2015年8月2日、七ヶ宿町や白石市の住民有志で組織する建設委員会により、七ヶ宿町長老地区に不忘平和記念公園が造成され、地元住民や在日米軍関係者ら600人が集まって除幕式が行われた。 2016年7月30日、不忘平和記念公園における2回目の慰霊祭では、米国の遺族、3番機のパイロット コーズマイヤー少尉の甥が参列した。 |
参考資料等
POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
河北新報 1961年(昭和36年) 9月25日, 2015年(平成27年)3月9日~11日