B29-#44-69686

墜落日時    1945年3月10日
墜落位置    茨城県つくばみらい市狸穴
所属      第314爆撃団第19爆撃群第93爆撃隊
攻撃目標    東京市街地
墜落原因    高射砲
TAIL CODE    ■M ?
機体ニックネーム    Tall In The Saddle  

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)MUSTER, Gordon L.大尉o-440990 X
副操縦士(CPLT) COOK, Eugene G.少尉o-777127 X 
爆撃手(BOMB)HAKE, Earl J.中尉o-669401 X 
航法士(NAV)HOMLING, Theodore R.中尉o-736860 X
機関士(FE)FISHBACK, Leland P.少尉o-868639 X
通信士(RDO)ZEHLER, Leverne J.伍長12139226 X
レーダー(RDR)HAGADORE, John R.少尉o-878800 X
中央火器管制(CFC)SEITZ, Willard A.伍長32931922 X
銃手(GUN)HARTLEY, Fred T.伍長35778501 X
銃手(GUN)HEANEY, Donald J.伍長36785322 X 
銃手(GUN)HODAK, Glen H.伍長33299053 X
同乗員(PAS)BAKSHAS, Sam P.少佐o-403395 X
 B29は高射砲弾を受けたらしく、火を吹いて旋回しながら落下、山火事を引き起こした。
 機長のSam P.BAKSHAS少佐、操縦士のGordon L.MUSTER大尉など9人が墜落死、現場付近に埋葬。3人が警防団により捕虜となり、谷田部警察署を経て、土浦憲兵分隊員がトラックで東京憲兵隊へ送ったが、このうちLeland P.FISHBACK少尉は重傷を負っており、東京憲兵隊では東部軍軍医部へ連絡して入院を求めたが、空襲下の混乱もあって、引き取りを拒否された。その間、東部軍から軍医の園部六郎中尉が診察に来たが、助かる見込みなしとして治療をせずに帰った。結局、東部軍が身柄を引き取ることになったが、処置方法に困り、一戸公哉中佐の指令で翌翌日に東部軍兵士3人と東京憲兵隊の本川貞少尉及び桑原政雄准尉らが付き添って、近くの東京外語学校(東京外国語大学の前身)の構内(現・毎日ビルディング付近)へ連行し、防空壕の中で彼を斬首し、ゴミと砂礫の中に埋めた。
 戦後の戦犯裁判で一戸中佐は死刑。処刑実行者の本川中尉は死刑。斬首と埋葬を手助けした桑原政尉は無期懲役。FISHBACKの治療を拒否した園部軍医中尉は懲役2年、現場へ付き添った東部軍兵士3人は無罪となった。
 また、Laverne J.ZEHLER伍長とGlenn H.HODAK伍長の2人は、東京陸軍刑務所に収容中、5月26日の空襲による火災で死亡。
  2001年7月15日 幼少時にこの事件を目撃した愛知学院大学の草間秀三郎教授は、「B29墜落平和の碑」を建立した。
 2001年9月10日 除幕式が行われ、在日米軍横田基地からドナルド・C・ウェックホースト空軍大佐、地元の住民など約50名が参加した。

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
常陽新聞 2001年(昭和13年) 9月11日