墜落日時 1945年4月2日
墜落位置 東京都青梅市柚木町銅ヶ沢
所属 第73爆撃団第498爆撃群第874爆撃隊
攻撃目標 中島飛行機武蔵製作所
墜落原因 戦闘機(陸軍飛行第五三戦隊中垣秋男軍曹)
TAIL CODE T□26
機体ニックネーム Filthy Fay II
搭乗員
機内配置 | 氏名 | 階級 | 認識番号 | 生死 |
操縦士(CAPT) | Smith, Carl G. | 中尉 | o-724649 | X |
副操縦士(CPLT) | Coats, Cecil E. | 少尉 | o-741074 | X |
爆撃手(BOMB) | Stauber, Benjamin C. | 少尉 | o-702975 | X |
航法士(NAV) | McGinty, Francis G. | 少尉 | o-811685 | X |
機関士(FE) | Houghton, John S. | 少尉 | o-866563 | X |
通信士(RDO) | McCormack, William D. | 技術軍曹 | 20361749 | X |
レーダー(RDR) | Lamarca, Sylvio | 二等軍曹 | 32409326 | |
中央火器管制(CFC) | Pettersen, Kenneth | 軍曹 | 42044727 | X |
右銃手(R.GUN) | Sansouci, Morris W. | 軍曹 | 31445787 | |
左銃手(L.GUN) | Reynolds, Francis E. | 二等軍曹 | 14158192 | |
尾部銃手(T.GUN) | Evans, John W. | 二等軍曹 | 14046616 |
B29は空襲が終わる頃、高射砲弾を受けたらしく、火の玉になって飛来、墜落と同時に爆発してバラバラになり、破片が山麓の吉野街道付近まで散乱した。 機長のCarl C.SMITHなど5人は墜落時に死亡、遺体は西多摩郡吉野村即清寺の墓地に火葬して埋葬され、戦後、米軍が回収した。パラシュート降下した5人(西多摩郡三田村で4人、小曾木村で1人)が1両日中に捕虜になり、サイドカーで立川憲兵分隊を経て東京憲兵隊司令部へ送られた。彼らのうちFrancis M.REYNOLDS二等軍曹、Sylvio LAMARCA二等軍曹、John W.EVANS二等軍曹、Morris W.SANSOUCI軍曹の4人は戦後米国へ帰還したが、John S.HOUGHTON少尉は全身に火傷を負っており、東京憲兵隊に収容中、症状が悪化、治療の見込みなしとして11日に毒殺された。東京小石川の陸軍墓地に埋葬。また、Kenneth PETTERSON軍曹は数日間山中に隠れていたが、空腹に耐えかねて黒沢3丁目の中村さん宅に現れて捕虜になり、東京憲兵隊へ送られた後、東京陸軍刑務所に移送、5月26日の空襲による火災で死亡。 青梅市立郷土博物館には、このB29のエンジンや破片の一部が保存されている。 2000年7月 墜落現場の山林を所有している野村哲也さんは、墜落現場近くにB29搭乗員の慰霊碑を建立した。 2006年4月2日 日米合同の慰霊祭が開催され、アメリカ側から左銃手Reynolds, Francis E.2等軍曹の遺族、在日米軍横田基地から副司令官ポール・J・モントゴメリー大佐、太平洋空軍音楽隊など16人が出席し、日本側から即清寺の協力のもと竹内俊夫青梅市長、地元住民など150人が参加して慰霊祭が催された。 慰霊碑の場所 〒198-0064 東京都青梅市柚木町2丁目 35°47’58.2″N 139°12’28.1″E |
参考資料等
POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
西多摩新聞 2006年(平成18年) 4月7日