墜落日時 1945年5月7日
墜落位置 大分県下毛郡山口村八面山(現大分県下毛郡三光村八面山)
所属 第313爆撃団第505爆撃群第483爆撃隊
攻撃目標 宇佐飛行場
墜落原因 戦闘機(飛行第四戦隊村田勉曹長)
TAIL CODE 〇W24
機体ニックネーム Empire Express
搭乗員
機内配置 | 氏名 | 階級 | 認識番号 | 生死 |
操縦士(CAPT) | MCKILLIP, James W. | 中尉 | o-802212 | X |
副操縦士(CPLT) | LAMBERT, John Y. Jr. | 少尉 | o-777715 | X |
爆撃手(BOMB) | HAMMERMAN, Harley | 少尉 | o-773374 | X |
航法士(NAV) | SIEGEL, Norman S. | 少尉 | o-710335 | X |
機関士(FE) | McELFRESH, Edgar L. | 技術軍曹 | 35412786 | X |
通信士(RDO) | YOKUBONIS, Albert A. | 二等軍曹 | 33187219 | X |
レーダー(RDR) | BALSER, Lewis C. Jr. | 二等軍曹 | 31430817 | X |
中央火器管制(CFC) | GALYARDT, Vernen L. | 技術軍曹 | 37000153 | X |
右銃手(R.GUN) | BAUMGARTEN, Otto. W. | 二等軍曹 | 12206196 | X |
左銃手(L.GUN) | ROMINES, Palph S. | 軍曹 | 34923629 | X |
尾部銃手(T.GUN) | BECKMAN, William F. | 軍曹 | 17088695 | X |
山口県小月陸軍飛行場を発進した陸軍飛行第4戦隊の村田勉曹長操縦の屠竜の体当たり攻撃による。村田勉曹長は墜落死。 B29は機長のJames W.McKILLIP中尉など8人が墜落死。このうち5遺体は機体の残骸の中で、2遺体は機外で見つかったが、あと1遺体は確認できなかった。1946年10月に米軍が遺体を回収。 Edgar L.McELFRESH曹長、Ralph S.ROMINES軍曹、Otto W.BAUMGARTEN軍曹の3人がパラシュート降下して捕虜。彼らは中津憲兵隊から福岡の西部軍司令部に送られ、6月20日に福岡高等女学校校庭で処刑されたと考えられる。 1970年5月7日 三光村在住の楠木正義氏らの尽力により、墜落現場に村田曹長とB29搭乗員の慰霊碑が建てられ除幕式を行った。アメリカ側からゼラルド・M・サットン福岡首席領事、福岡板付空軍基地司令官エドワード・オーニー空軍大佐などが参列し、日本側からは木下大分県知事、周辺地区の各市村長など、約430人が参列した。 これ以降、毎年慰霊祭が開催されている。(現在は毎年5月3日開催) 付近は村の手で平和公園として整備され、記念館にはB29の残骸の一部なども保管している。 |
参考資料等
POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
大分合同新聞 1970年(昭和45年) 5月8日