墜落日時 1944年11月21日
墜落位置 長崎県北富木郡小長井村小川浦名沖100メートル
所属 第58爆撃団第462爆撃群第770爆撃隊
攻撃目標 大村海軍航空廠
墜落原因 戦闘機
TAIL CODE Solid Blue Rudder T 4
ニックネーム
搭乗員
機内配置 | 氏名 | 階級 | 認識番号 | 生死 |
操縦士(CAPT) | KILLEBREW, Joseph P. | 大尉 | o-433537 | X |
副操縦士(CPLT) | MECKS, Paul R. | 中尉 | o-808875 | X |
爆撃手(BOMB) | OVIAL, Spirite | 少尉 | o-684656 | X |
航法士(NAV) | EGGERS, E. M. | 中尉 | o-735182 | X |
機関士(FE) | HEINS, Earl | 中尉 | o-816367 | X |
通信士(RDO) | NORMAN, John | 二等軍曹 | 35582790 | X |
レーダー(RDR) | CHARD, G. E. | 軍曹 | 16175948 | X |
中央火器管制(CFC) | MORROW, Edward | 二等軍曹 | 14134422 | X |
右銃手(R.GUN) | CORNERIUS, G. | 二等軍曹 | – | X |
左銃手(L.GUN) | SHERIDAN, Vin | 二等軍曹 | 32450753 | X |
尾部銃手(T.GUN) | YOUNG, Luther | 軍曹 | 17075593 | X |
大村海軍飛行場を発進した第352海軍航空隊坂本幹彦中尉操縦のゼロ戦の体当たり攻撃を受け、錐もみ状態となり、垂直尾翼だけを海面に出して墜落した。 機体の残骸から9人の遺体が引き揚げられ、現場付近に埋葬。他の2人の遺体は12月2日と5日に南高来郡神代村(現・国見町)の海岸に漂着、村民が火葬した。機体の残骸は日本軍によって大村海軍航空廠に運ばれた。戦後、米兵の遺骨は長崎市目覚町の外人墓地に納められ、1945年9月12日に、米軍が回収した。 1977年11月27日 高来町の天初院で「日米合同慰霊祭」が行われ、慰霊祭にはアメリカ領事館のローレンス・S・タジューフ副領事、米海軍佐世保弾薬廠司令官ドナルド・マックバーデン大佐、中原筆二高北町長、日本側遺族、自衛隊関係者ら約120人が参列した。 1993年に、小長井小学校に隣接する小長井町の石材業馬渡廣雄さんの私有地内に、B29搭乗員11人の氏名を英語と日本語で記した「鎮魂碑」が建立された。 Isahaya, Japan holds B-29 Memorial https://www.youtube.com/watch?v=gxp3k6yMQjI VIDEO by U.S. Navy (December 10, 2015) |
参考資料等
POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
長崎新聞 1977年(昭和52年)11月28日, 2015年(平成27年)9月15日