B29-#42-24849

墜落日時    1945年3月17日
墜落位置    兵庫県神戸市生田区再度山外国人抑留所
所属      第73爆撃団第500爆撃群第881爆撃隊
攻撃目標    神戸都市地域
墜落原因    戦闘機体当たり(陸軍飛行第56戦隊緒方淳一大尉)
TAIL CODE    Z□08
機体ニックネーム    St. Bernard 

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)Fitzgerald, Robert J.少佐o-403887 X
副操縦士(CPLT) Copeland, Robert E.少尉o-761044 X
爆撃手(BOMB)Brousek, Erwin A.中尉o-734874 X
航法士(NAV)Nelson, Robert W.少尉o-703784 X
機関士(FE)Bond, James C.少尉o-864716 X
通信士(RDO)Robert D. Cockson二等軍曹35593704
レーダー(RDR)Augunas, Algy S.二等軍曹32796605
中央火器管制(CFC)Holley, David W.軍曹17097498
右銃手(R.GUN)Barry, John T.軍曹16141602
左銃手(L.GUN)Cutler, John L.軍曹35654602
尾部銃手(T.GUN)Wray, Ruben A.軍曹34502727

搭乗員

 神戸攻撃で伊丹飛行場を発した陸軍飛行第56戦隊緒方淳一大尉操縦の飛燕による体当たり(緒方大尉戦死)を受け、神戸市生田区再度山公園から大龍寺裏、塩ヶ原池西側にかけて落下。9名の遺体は抑留者によって埋葬され、機体残骸下から緒方大尉遺体と同機体も発見された。Nelson少尉とAugunas二等軍曹が再度山外国人抑留所にパラシュート降下し兵庫県警察部外事課に拘束された。神戸憲兵分隊経由大阪憲兵隊司令部に送致。中部軍管区司令部では、捕獲された二名を全国の先例として軍律会議に諮ることとし、準備、7月18日大阪城内同司令部内で軍律会議を行った。会議は「無差別爆撃を行い市民多数を殺傷した」として、軍罰(銃殺)を宣告、二人は即日、泉南郡横山演習場(現和泉市)に連行され、斬首された。
  戦後、本件の取り調べを受け自殺を図った中部憲兵隊付軍医吉田耕三医中尉は、病状回復後、GHQ法務局の訊問に対し、Augunas二等軍曹の最後の言葉を陳述している。「私はあなた方を恨まない。私が任務を実行したように、あなた方も任務で行うのだから。ただ一つ言いたいことは、このいまわしい戦いは間もなく終り、そして永遠の平和がもたらされるだろう」
 1999年3月17日 神戸市の太龍寺に緒方大尉の所属した五十六戦隊の隊長により慰霊碑が建てられた。
 2007年3月17日 緒方氏と同期の元陸軍少佐 松本重夫氏により「武人として戦闘相手を称える精神を踏まえ、その名を残したい。」と緒方大尉の慰霊碑側に、B29搭乗員全員の名前とともに「怨親平等」と碑文が刻まれたプレートが設置され、旧陸軍士官学校の同期生ら約30人が集まり慰霊祭が執り行われた。
 2015年4月14日 無線通信士だったRobert D. Cockson2等軍曹の遺族が神戸を訪問し、緒方氏の遺族と対面した。

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
神戸新聞 2007年(平成19年) 3月17日
読売新聞 2015年(平成27年) 5月11日