墜落日時 1945年1月3日
墜落位置 愛知県豊田市
所属 第73爆撃団第500爆撃群第882爆撃隊
攻撃目標 名古屋
墜落原因 戦闘機
TAIL CODE Z□22
機体ニックネーム The Leading Lady
搭乗員
機内配置 | 氏名 | 階級 | 認識番号 | 生死 |
操縦士(CAPT) | Wilbur E.Hurlbutt | 少佐 | o-1699361 | DED |
副操縦士(CPLT) | Felix P.Omilian | 中尉 | o-685171 | DED |
爆撃手(BOMB) | Glendon M.Aitken | 中尉 | o-741439 | DED |
航法士(NAV) | Edward H.Stoehr | 中尉 | o-738741 | DED |
機関士(FE) | Glenn C .Truesdel | 中尉 | o-859714 | DED |
通信士(RDO) | Joseph P.Nighan | 軍曹 | 33623699 | DED |
レーダー(RDR) | Paul E.Dreyer | 技術軍曹 | 13137567 | DED |
中央火器管制(CFC) | Karl Hunt | 軍曹 | 11067825 | DED |
銃手(GUN) | Harold T.Hedges | 軍曹 | 38400804 | |
銃手(GUN) | Frank J.Yanik | 軍曹 | 33829896 | DED |
銃手(GUN) | Richard P.Steinberg | 曹長 | 12101125 | DED |
作戦観察者(PAS) | Marcus A.Mullen | 中佐 | o-22829 | DED |
小牧基地から発進した陸軍飛行第55戦隊の代田実中尉操縦の飛燕の体当たり攻撃による。代田中尉はパラシュート降下したが、重傷を負い、翌日、名古屋海軍航空隊病院で死亡。 B29は、機長のWilbur E.HURLBUTT少佐など11人が現場付近で墜落死。村人が現場付近で火葬して埋葬したが、戦後米軍対策として、遺灰を岡崎市欠町の岡崎公共墓地に納めて墓標を建てた。Thomas H.HEDGES軍曹はパラシュート降下して下山村花沢町鋳師釜の森に逃げ込み、翌日、豊橋憲兵分隊に捕まって岡崎憲兵分隊へ送られた。1月5日頃、豊橋憲兵分隊によって、名古屋憲兵隊を経て名古屋地区軍司令部に引き渡された。数日後、名古屋憲兵隊から大阪の中部軍司令部へ送られ、さらにその後、東部軍司令部へ送られ大森俘虜収容所に収容された。戦後米国へ帰還。 墜落現場の坂上町では自治会が中心になり、墜落現場に「B29の里」という説明板を設置するなど、この事件を語り継ぐ努力を続け、2010年11月には「B29友好碑」を建立し、在日米軍の代表も参加して慰霊祭を開催した。 |
参考資料等
POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php