墜落日時 1945年7月25日
墜落位置 静岡県浜名郡新居町中之郷字役出
所属 第4緊急救難隊
攻撃目標 浜名湖
墜落原因 高射砲
ニックネーム Radio call sign. JUKEBOX 21
搭乗員
機内配置 | 氏名 | 階級 | 認識番号 | 生死 |
操縦士(CAPT) | MOTSINGER, William C. | 中尉 | o-752224 | X |
副操縦士(CPLT) | BALL, Robert W. | 少尉 | o-784384 | X |
航法士(NAV) | MARSH, Charles R. | 中尉 | o-802656 | X |
飛行外科医(Surgeon) | ZAHRT, Norman E. | 大尉 | o-1700383 | X |
機関士(FE) | CONGER, Robert W. | 技術軍曹 | 37324467 | X |
レーダー(RDR) | PERKINS, Charles J. | 二等軍曹 | 39134499 | X |
通信士(RDO) | DOODY, Gerard J. | 二等軍曹 | 32957236 | X |
H | HURN, Charles E. | 軍曹 | 34807555 | X |
H | GRIFFIN, Eliott L. | 軍曹 | 37273225 | X |
I | ANDRSON, Otis E. Jr. | 軍曹 | 18118869 | X |
前日に浜名湖付近で行方不明になったP51操縦士救助のため、硫黄島基地を発進し、低空で侵入して来て高射砲弾で撃墜され搭乗員10人全員死亡。彼らの遺体は当時の警察署長や役場の人々によって丁重に埋葬された。 戦後、米兵らの遺体を改めて別の場所に移し墓地を作った。墓地には十字架と「アメリカ大英雄の墓」と書かれた墓標が建てられ、僧侶の読教により供養されたという。その後、米軍の調査に際し全て掘り起こして米国に持ち帰られた。 一方、現場近くの神宮寺の鎌田泰道住職は、亡くなった米兵の位牌を作って弔った。 1952年4月4日、鎌田泰道住職は米兵の慰霊と平和祈念のために寄付を募って「米殉国勇士之英魂」という文字と死亡した搭乗員10人の名前・階級、裏面に建立の趣旨と建設委員の名前などが刻まれた慰霊の石稗を神宮寺敷地内に建立した。 1952年4月8日、在日米軍代表、日本政府代表、新居町長らが参列して除幕式が行われた。 |
参考資料等
POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
静岡新聞 1952年(昭和27年) 4月9日