B29‐#42-65295

墜落日時    1945年4月29日
墜落位置    鹿児島県曾於郡百引村(現・輝北町)唐鎌
所属      第73爆撃団第498爆撃群第873爆撃隊
攻撃目標    都城飛行場
墜落原因    戦闘機
TAIL CODE    T□12
機体ニックネーム    Sally Delle

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)GEER, Marvel L.中尉o-725714 X
副操縦士(CPLT) WIDOWS, Harry J.少尉o-771857 X 
爆撃手(BOMB)FARBER, Charles E.少尉o-2060689 X
航法士(NAV)SULLIVAN, Edward J.少尉o-2058039 X 
機関士(FE)BLOCK, William R.曹長16021544 X
通信士(RDO)ALLAIN, Joseph V.軍曹36637460 X
レーダー(RDR)MUELLER, Emil W.軍曹42092376 X  
中央火器管制(CFC)HIX, Carnie E.技術軍曹18061877 X
銃手(GUN)MIDDLEMAS, Robert G.軍曹42101398 X
銃手(GUN)MORRISROE, Robert G.軍曹121009725 X  
銃手(GUN)PLUNGE, Edward J.軍曹31410510 X
 都城飛行場を爆撃したB-29編隊の23機は、笠野原基地から出撃した零戦部隊(203部隊)、鹿屋基地から出撃した雷電部隊(竜巻部隊)、大村基地から出撃した紫電改部隊の戦闘機約60機に迎撃された。203部隊上空指揮官 岩下邦雄大尉の零戦による3号爆弾攻撃が、#42-65295のレーダールームに直撃し、これが致命傷となり右翼が折れ墜落、全員死亡した。
 遺体はひどく焼けていたので識別困難だったが、現場付近で9遺体分が拾い集められ埋葬された。
 1995年3月、輝北町教育委員会は墜落現場に記念碑を建立した。現在、輝北町の歴史民俗資料館には、このB29の機関砲などが保存されている。

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php