B29-#42-24815

墜落日時    1945年2月10日
墜落位置    群馬県邑楽郡高島村秋妻(現群馬県邑楽郡邑楽町秋妻)
所属      第313爆撃団第505爆撃群第483爆撃隊
攻撃目標    中島飛行機太田製作所
墜落原因    接触事故
TAIL CODE    K△17
機体ニックネーム    Deaner Boy

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)BARNHART, Owen O. Jr.中尉o-735019 X
副操縦士(CPLT) MORRISON, Donald M.少尉o-765028 X
爆撃手(BOMB)BURNER, Hugh D.中尉o-735260 X
航法士(NAV)KERNS, Cornelius R.少尉o-708617 X
機関士(FE)HAZELWOOD, Harley H.少尉o-868388 X
通信士(RDO)SMITH, Norman E.二等軍曹33372206 X
レーダー(RDR)GREUP, James F.軍曹13177807 X
中央火器管制(CFC)WILBUR, George B. III軍曹11090937 X 
右銃手(R.GUN)KISSINGER, Donald A.W.軍曹16108025 X
左銃手(L.GUN)HARZ, Harry J. Jr.軍曹13200505 X
尾部銃手(T.GUN)FITZPATRICK, Harvey J.軍曹32762656 X
 2機のB29のうち1機が日本軍戦闘機の攻撃、または高射砲弾を受けて姿勢を崩し、もう1機と空中衝突、両機は木の葉が舞うように100メートルほどの距離を置いて田んぼに落下、24815機は搭載爆弾の爆発により機体はバラバラになり地上に大きな穴をあけた。24784機の機体は原形を留めていたが、両機の残骸は3日間燃え続け、全員死亡した。
 墜落現場付近では、バラバラになった17人分ぐらいと思われる遺体が回収され、高島村秋妻の光林寺に運び、そこから小泉の火葬場へ送り、火葬した。戦後米軍が遺灰を回収。B29の残骸は、中島飛行機の工場へ運ばれた。
 2010年2月10日、墜落現場の田の前で慰霊祭を開催し、地元住民10人ほどで執り行った。
 2013年3月20日、地元有志、清岩寺住職らの尽力で、墜落現場に近い清岩寺に上記23人の「B29墜落搭乗員慰霊碑」が建立され、除幕式と日米合同慰霊祭が開催された。アメリカ側から遺族としてB-29「Slick’s Chicks」の副操縦士ダン・ドズィ少尉の息子など4人、在日米軍横田基地の代表・軍楽隊員約40人、地元住民ら約260人が参列した。

Gunma B-29 Ceremony
https://www.youtube.com/watch?v=YKbKDJ3BomY
VIDEO by Yokota Air Base (March 31, 2015)

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
上毛新聞 2013年(平成25年) 3月21日