B29-#44-69998

墜落日時    1945年8月28日
墜落位置    秋田県南秋田郡戸賀村
所属      第73爆撃団第497爆撃群第870爆撃隊
攻撃目標    収容所
墜落原因    悪天候
TAIL CODE    A□37        
ニックネーム   無し 

搭乗員

機内配置(Position)氏名(Name)階級(Rank)認識番号(S/N)生死
操縦士(CAPT)Cripps, John M Jr.1st LTo-809110 X
副操縦士(CPLT)Kolodner, Saul2nd LTo-837720 X
PFalk, Horace RCapto-427944 X
CPrestley, Hugh D2nd LTo-788835 X
NClouser, Jay ASgt35364631 X
OLanning, Virgil GS-Sgt17147751 X
GWildner, Carl AS-Sgt16154480 X
IBlair, William ASgt35599681 X
HHeddens,   Earl ESgt39286341 X
KMartien, Norman H JrCpl18091521
SBachman, Hiram G2nd LTo-2080623 X
ZGlynn, Charles FPfc35141498 X
 秋田県大館市の捕虜収容所に救援物資を空輸中の3機のB29のうちの1機が、悪天候により事故を起こした。
 機長のJ.M.CRIPPS中尉など11人が死亡したが、Norman H.MARTIEN Jr.軍曹(19才)は生存しており、12時間後に地元住民により救助され、9月8日に能代の東雲原飛行場を経て、厚木飛行場から本国に帰還した。
 1946年、戸賀村役場は加茂青砂小学校に「和平の碑」を建立。1964年、地元住民によって男鹿山本山のB29墜落現場付近に慰霊碑が建てられた。
 1990年、MARTIEN夫妻は、男鹿ロータリークラブの招きによりアメリカのルイジアナ州から来日、地元の人々と45年ぶりに再会して交流を深め、墜落現場付近には新たな碑も建てられた。
慰霊碑(左) 昭和三十九年八月二十八日 
慰霊標(右) 平成二年五月二十四日建立、平成二十五年六月九日 石柱に建替

戸賀村(現男鹿市)の村長だった三浦勝雄氏によって建てられたという「和平」の碑。かろうじて、「和平」と「B29」と書かれたのが判読できる。

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
男鹿民報 1954年(昭和39年) 9月1日