B29-#44-69665

墜落日時    1945年6月5日
墜落位置    三重県名張市
所属      第58爆撃団第468爆撃群第793爆撃隊
攻撃目標    神戸都市地域
墜落原因    戦闘機(陸軍明野教導飛行師団第一教導飛行隊山中光義大尉)
TAIL CODE    △I25
機体ニックネーム

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)ARNOLD, Robert L.大尉o-664365 X
副操縦士(CPLT) GARMAN, Vincent L.中尉o-812246 X
爆撃手(BOMB)YOUNG, Roy M.中尉o-692112 X
航法士(NAV)FOLGAR, Harry F中尉o-686139 X
機関士(FE)WOLF, Melvin准尉T192657 X
通信士(RDO)MCDANIEL, Joseph R.軍曹33550775 X
レーダー(RDR)VREELAND, Charles L.二等軍曹34403699 X
中央火器管制(CFC)HUHESTOCK, Gleen C.二等軍曹37023632 X
銃手(GUN)LADD, Theodore F.二等軍曹31091802 X
銃手(GUN)MAINIERO, Theodore J.伍長20237146 X
銃手(GUN)KIRKLAND, Kenneth L.二等軍曹17109466 X
三重県明野教導飛行師団の檜与平大尉指揮の五式戦闘機部隊の攻撃を受けた。
     
<死亡搭乗員2人>
 Glenn C.HURNSTOCK二等軍曹は、機体とともに墜落死。機体の残骸の近くで手足のちぎれた胴体だけの遺体が見つかり、現場付近に埋葬された。1946年4月に米軍が遺体の回収に来た時、地元住民は花で飾った墓標を作り慰霊を装った。
 機長のRobert L.ARNOLD大尉は機外へ投げ出され、名張町夏見の水田に焼死して落下、現場付近に埋葬された。
     
<三重県側で捕まった捕虜搭乗員6人>
 Vincent L.GARMAN中尉、Harry F.FOLGAR中尉、Melvin WOLF准尉、Charles L.VREMLAND二等軍曹、Joseph E.McDANIEL軍曹、Theodore J.MAINIERO伍長
 損傷を受けた飛行機が旋回中、搭乗員がパラシュート降下した。警防団員や村人が6人を捕獲して名張警察署へ連行した。名張警察署での尋問の後、近鉄電車で津憲兵分隊へ護送、さらに翌日、名古屋の東海軍司令部に護送した。
 彼らは7月14日頃、東海軍司令部の第二兵舎裏で斬首刑に処せられた。敗戦直後、東海軍の兵士によって遺体が掘り返されて焼かれ、遺灰が名古屋市東区新出来町の陸軍墓地に納められた。
     
<奈良県側で捕まった捕虜搭乗員3人> 
 Roy M.YOUNG中尉は、奈良県宇陀郡三本松村大字龍口にパラシュート降下して村人に捕まった。近鉄三本松駅から榛原警察署で取り調べを受けた後、奈良憲兵分隊に引き渡された。その後、大阪城前の中部憲兵隊司令部へ送られ、中部軍第23部隊の営倉に収容。後に傷病死、または処刑された。
 Theodore F.LADD二等軍曹は、奈良県宇陀郡三本松村大字龍口で同日の夕方、村人に捕まった。彼は三本松村の集会所で榛原警察署で尋問を受けた。その後、奈良憲兵分隊に引き渡され、大阪城前の中部憲兵隊司令部へ送られ、中部軍第23部隊の営倉に収容。後に傷病死、または処刑された。
   Kenneth L.KIRKLAND二等軍曹は、パラシュート降下して山中を1昼夜彷徨し、翌日、奈良県宇陀郡曾爾村長野の森で付近の人々に捕まった。役場で食事を与えられた後、名張駅へ護送し、榛原警察署に引き渡された。その後、大阪城前の中部憲兵隊司令部へ送られ、中部軍第23部隊の営倉に収容。後に傷病死、または処刑された。
    
  2006年6月4日 墜落現場の三重県名張市 青蓮寺に「B29搭乗員十一名追悼碑」建立、除幕式が行われ、この年以降、「平和の集い」が開催されている。  2007年8月15日 B29搭乗員全員の名前が刻まれた2つ目の石碑が設置された。
 青蓮寺 本堂にある位牌

追悼碑(左側)の碑文
昭和20年(1945)6月5日、ふるさとを遠く離れたこの地に米軍戦略爆撃機B29機体番号(44-69665)が墜落した。 搭乗員として、若くして生命を亡くしたアメリカ兵11名をここに追悼する。尊い命が犠牲となる過ちを犯さぬよう日々、平和を作る努力を怠ってはならない。
平成19年(2007)8月15日
地蔵院 青蓮時
2021年8月15日 「平和の集い」において、在名古屋米国領事館 マシュー・センザー首席領事からのメッセージが紹介された。
ARNOLD クルーの集合写真(1944年 インドで撮影)
伊和新聞 2006年(平成18年) 6月10日 (掲載了解済)

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
伊和新聞 2006年(平成18年) 6月10日