B29 #42-6230

墜落日時    1944年6月16日
墜落位置    福岡県若松市高須
所属      第58爆撃団第468爆撃群第792爆撃隊
攻撃目標    八幡製鉄所
墜落原因    戦闘機 
TAIL CODE 2 White Rudder Stripes
ニックネーム  Limber Dugan

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT) IVANOVIC, Dushan D. 大尉o-662793 X
副操縦士(CPLT) McMICHAEL, Conley M. 少尉o-684018 X 
航法士(NAV)FISHER, Caroll A.中尉o-676038 X
爆撃手(BOMB)JOHNSON, Guy A.中尉o-729624 X
機関士(FE)SIMONSON, Donald W.少尉o-549686 X
レーダー(RDR)HYMEL, Robert J. 少尉o-865761 X
通信士(RDO)LEVY, Herbert G. 2等軍曹11095940  X
中央火器管制官(CFC)ARNDS, Richard C. 軍曹39283177  X
左銃手(L.GUN)GOODROE, James W.曹長6729208 X
右銃手(R.GUN)DUPUIS, Joseph C.軍曹11091512  X
尾部銃手(T.GUN)DAVIS, August W.2等軍曹17003658 X
従軍記者SHENKEL, William T. X
 福岡県若松市(現・北九州市若松区)大字高須松ヶ鼻の戸明神社下の麦畑に墜落。 飛行機は翌朝まで炎上を続け、機関砲弾がはじけていた。現場付近にはプロペラ、補助タンク、地図、搭乗員の持ち物などが散乱していた。戸明神社も延焼し、消火活動に駆けつけた住民1人が死亡した。  機長のDuehan D.IVANOVIC大尉など搭乗員12人全員死亡。現場付近に火葬して埋葬。戦後まもなく、墓標が建てられた。
 1946年8月30日、 米軍が遺灰を回収。
 2016年6月29日 、副操縦士の娘さんMs.Connie L. McMichaelは、地元有志の案内により、墜落現場を訪問した。
 2021年9月7日、コロナウイルスの影響により何度も延期を繰り返した追悼会を、この日開催。在福岡米国領事館より、ジョン・テイラー首席領事、ラファネロ・カサリン領事などが参加した。
墜落地点に墓標がたてられた。  (資料提供: 八幡郷土史会 安田寛)
33°53’16.4″N 130°41’47.9″E(https://goo.gl/maps/HgetVmZV7uz15mEMA
祭壇に手を合わせる遺族のMs.Connie L. McMichael。 (資料提供: 八幡郷土史会 安田寛)

墜落地点の追悼会でメッセージを述べるジョン・テイラー首席領事

 B-29 #42-6230 “Limber Dugan” CREW  (資料提供: 八幡郷土史会 安田寛)

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
終焉の地よいずこ!― 父を訪ねて三千里 (著:安田 寛)