B29-#42-24699

墜落日時    1945年4月28日
墜落位置    北緯31度15分、東経131度40分
所属      第73爆撃団第499爆撃群第877爆撃隊
攻撃目標    宮崎飛行場
墜落原因    高射砲
TAIL CODE V□09
機体ニックネーム     Salvo Sally

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)CANADA, William大尉o-399764 X
副操縦士(CPLT) NEAL, Raymond D.少尉o-759650 X
爆撃手(BOMB)KEMNITZ, Clarence R.中尉o-735200 X
航法士(NAV)PUNBERG, Laverne J.少尉o-2058016 X
機関士(FE)MACDONALD, Fred J.少尉o-866844 X
通信士(RDO)McDANIEL, Earl L.技術軍曹38130395 X
レーダー(RDR)WEBER, Warren C.二等軍曹38190379 X
中央火器管制(CFC)CANNON, Jack B. Jr.技術軍曹37504732
右銃手(R.GUN)LINDGUIST, Martin O.軍曹15125965 X
左銃手(L.GUN)LIVAK, John軍曹31155126 X
尾部銃手(T.GUN)PAVIA, Carl J.軍曹31104379 X
戦隊レーダー士官FINKLES, Philip B. Jr.中尉o-864443 X
 宮崎飛行場を爆撃直後、日本軍の高射砲により第3、第4エンジンが被弾、炎上し、都井岬沖で墜落。 29日潜水艦GatoによりJack B.CANNON技術軍曹だけが救助された。  
 2017年5月 一人の遺族からのメールによる問い合わせがきっけとなり、
 2018年4月28日 宮崎空港に隣接する独立行政法人航空大学校の格納庫において慰霊祭が開催された。この慰霊祭は宮崎市遺族会が主催し、アメリカ側から生存者Jack B.CANNON氏、関係遺族5人、アメリカ空軍太平洋音楽隊が参加し、日本側からは、宮崎市長や宮崎市遺族会関係者など約150人が参加した。

Jack Cannon’s Tale
https://www.youtube.com/watch?v=N4QFvDQdR_4
AFN SASEBO (May 10, 2018)

前日(4/27)の昼間、宮崎市内の月見が丘教会において、諏訪牧師を筆頭に信徒の皆さんによる全面的な協力により追悼記念祭(プロテスタントの宗教的な式典)を執り行う。

前日(4/27)の夜、宮崎市遺族会が中心になり交流会を開催
米国からの遺族をはじめ、米空軍太平洋音楽隊のメンバーなどと記念撮影の一コマ

独立行政法人 航空大学校 格納庫における慰霊祭で最初に献花するJackCanon氏

4/28の慰霊祭には、在日米軍司令 兼 米第5空軍司令官  JERRY P. MARTINEZ 中将からのビデオメッセージが贈られた。
JERRY P. MARTINEZ 中将から贈られたメッセージボード (宮崎市役所管理)

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
朝日新聞 2018年(平成30年) 4月29日
毎日新聞 2018年(平成30年) 4月29日