B24-#44-40680

墜落日時    1945年7月28日
墜落位置    山口県玖珂郡伊陸村(現・柳井市)
所属      第494爆撃群第866爆撃隊
攻撃目標
墜落原因    対空砲火    
ニックネーム LonesomeLady

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)Thomas C. Cartwright2nd Lto-831661
副操縦士(CPLT)Durden W. Looper2nd Lt o-2067143 X 
航法士(NAV)Roy M. Pedersen2nd Lt o-2071822 X 
爆撃手(BOMB)James M. Ryan2nd Lt o-785427 X 
機関士(FE)Buford J. EllisonSgt38368550 X 
通信士(RDO)Hugh AtkinsonSgt39214204 X 
Nose Turret 銃手John A. Long, Jr.Cpl33707730 X 
Ball Turret 銃手Ralph J. NealSSgt15042164 X 
Tail Gunner 銃手William ESSgt36440823
 対空砲火を受け撃墜前に搭乗員9人全員が脱出した。このうち、Roy M. PEDERSON Jr.少尉はパラシュートが開かず墜落死し、その他8人全員が捕虜になった。このうち、Thomas C. CARTWRIGHT少尉(機長)は情報収集のため7月30日に東京の防衛総司令部へ移送され、戦後米国へ帰還。William E.ABEL二等軍曹は山中に逃げ込んで隠れていたが、空腹に耐えかねて、8月4日に山陽線の旅客列車に乗り込んだところを、市民の通報を受けた海軍兵士によって徳山付近で捕虜。9日に呉海軍基地へ送られ、大船海軍捕虜収容所へ移送。戦後米国へ帰還。その他6人は広島の原爆により亡くなった。
 1998年8月、「平和の碑」が建立された。
 1999年10月、、Thomas C. CARTWRIGHT元機長を迎え、「平和の碑」の除幕式が執りおこなわれ、被爆死した同僚の慰霊や墜落現場の地元の人々との交流の行事を行った。

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php