B17-#42-3882

墜落日時    1945年7月25日
墜落位置    静岡県浜名郡新居町中之郷字役出
所属      第4緊急救難隊
攻撃目標    浜名湖
墜落原因    高射砲 
ニックネーム  Radio call sign. JUKEBOX 21

搭乗員

機内配置氏名階級認識番号生死
操縦士(CAPT)MOTSINGER, William C.中尉o-752224 X
副操縦士(CPLT) BALL, Robert W.少尉o-784384 X 
航法士(NAV)MARSH, Charles R.中尉o-802656 X
飛行外科医(Surgeon)ZAHRT, Norman E.大尉o-1700383 X
機関士(FE)CONGER, Robert W.技術軍曹37324467 X
レーダー(RDR)PERKINS, Charles J.二等軍曹39134499 X
通信士(RDO)DOODY, Gerard J. 二等軍曹32957236 X
HHURN, Charles E.軍曹34807555 X
HGRIFFIN, Eliott L.軍曹37273225 X
IANDRSON, Otis E.  Jr.軍曹18118869 X
 前日に浜名湖付近で行方不明になったP51操縦士救助のため、硫黄島基地を発進し、低空で侵入して来て高射砲弾で撃墜され搭乗員10人全員死亡。彼らの遺体は当時の警察署長や役場の人々によって丁重に埋葬された。
 戦後、米兵らの遺体を改めて別の場所に移し墓地を作った。墓地には十字架と「アメリカ大英雄の墓」と書かれた墓標が建てられ、僧侶の読教により供養されたという。その後、米軍の調査に際し全て掘り起こして米国に持ち帰られた。
    一方、現場近くの神宮寺の鎌田泰道住職は、亡くなった米兵の位牌を作って弔った。
 1952年4月4日、鎌田泰道住職は米兵の慰霊と平和祈念のために寄付を募って「米殉国勇士之英魂」という文字と死亡した搭乗員10人の名前・階級、裏面に建立の趣旨と建設委員の名前などが刻まれた慰霊の石稗を神宮寺敷地内に建立した。
 1952年4月8日、在日米軍代表、日本政府代表、新居町長らが参列して除幕式が行われた。
    
「米殉国勇士之英魂」と書かれた慰霊碑

写真中央が鎌田泰道住職 (写真提供:神宮寺)

日本防衛空軍司令部 Curtice R. Law大佐のスピーチ  (写真提供:神宮寺)

静岡新聞 1952年(昭和27年) 4月9日 (掲載了解済)

参考資料等

POW研究会HP「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/index.html
青森空襲を記録する会HP「本土空襲墜落機調査」
 http://aomorikuushuu.jpn.org/mia.html
中央評論『日本全国B29慰霊碑物語』(299号、305号)
 https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2019/02/912/
Investigation Division Report, Legal Section, GHQ/SCAP
 https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/LS.php
静岡新聞 1952年(昭和27年) 4月9日